夏のドラマも終わり、秋からのドラマが待ち遠しいです。 寂しい事に、夏のドラマは「下北サンデーズ」ぐらいしかまともに見ていなかった ので、秋からは楽しみです。 観る予定のドラマは「のだめカンタービレ」「相棒」「おみやさん」「Dr.コトー診療所」 ちょっと興味ありが「14才の母」かな。 そういえば、「相棒」は土曜ワイド劇場の頃から第4シリーズまでのDVDとオフィ シャルガイドブックも発売されるので、ますます楽しみです。 「お見合い?」 外のうだるような暑さから戻り、よく利いた冷房で汗がすうーとひいて行くのを感じ ていた俺は、光森に廊下の人気のない一角に連れ出され、彼の口から聞いた思い がけない言葉を繰り返した。 「はい」 「するのか?」 「先週の土曜日にしたそうです。部長の奥さんの知り合いの友人の息子で、弁護 士だそうです」 「へー、そうなんだ」 「まさか、そのまま結婚なんて事になりませんよね」 「さあな。本人同士がその気になれば有り得るんじゃないか」 「いいんですか?」 「いいも何も、俺達が口出しする事でもないだろ」 「そうですか」 光森は俺には失望したと言いたげな顔でうなずくと、一人でとっとと戻っていった。 あの態度は一体何なんだ? 後輩が見合いをしたのには驚いたが、だからと言って俺がどうこういう事ではない。 だいたい、何で光森が知っていて俺が知らないんだ? むかついてきた俺は、課に戻ると、今席を外している後輩が帰って来るのを待った。 しばらくして、後輩が課長に頼まれた用事を終えて帰って来た。 「あ、先輩。筒谷商事の件はどうなりましたか?」 普段と変わらない様子で尋ねてくる。 「うまくいきそうだ。向こうの部長も乗り気だったし」 「よかった。気難しい人だって聞いていたので心配してたんです」 「俺の事より自分の心配をしたらどうだ」 「えっ?」 つれなく返した俺に、後輩は目を見開いた。 「あ、あの、長池さん」 「話がある。ちょっと来い」 光森が声を掛けるのを遮って、後輩を廊下に連れ出した。 「何ですか、いきなり?」 腕をつかんだ俺の手を振りほどいて怪訝な顔をする後輩に、俺は周りに誰もいな いのを確認してから切り出した。 「土曜日に見合いしたそうだな?」 「どうして知ってるんですか?」 後輩が驚いた顔で訊いてきた。 「光森から聞いた」 「あいつー」 「何で黙ってたんだ?俺に知られちゃまずいのか?」 「そういうわけじゃ」 「じゃあどうして、光森には話して俺には話さなかったんだ?」 「彼には話してません。お見合い相手が、彼の知り合いだったんです」 後輩は、渋々と言った口調で答える。 「それで、どうだったんだ?」 事情が分かり、俺は努めて明るさを装って尋ねた。 「いい人でした。話も合ったし、結婚も真面目に考えているみたいで、大切にしてくれ そうな印象を受けました」 「そうか。よかったな」 俺がそう言った途端、後輩の表情が険しくなった。 「そう思いますか?」 「んっ、ああ、まあな」 「そうですか」 後輩はため息をつくと、背を向けて歩き出した。 「おい、ちょっと待てって」 腕をつかんで引き留めると、振り返ってにらまれた。 「何ですか?」 「誰か他に好きな奴でもいるのか?それならそれで、ちゃんとだな」 「私の事は放っておいて下さい。先輩は自分の事だけ心配してて下さい」 「そんな言い方しなくてもいいだろ?俺は幸せになってもらいたくて」 「だから、それが余計なお世話なんです。自分の幸せぐらい自分で決めます」 後輩は俺の手を振り切ると、歩き去っていった。 それからは後輩は徹底して俺との関わりを避け、やりとりが必要な時は光森を介し て仕事を進めた。光森は自分にも否があると認識しているのか、俺には冷たい視線 を投げるが後輩の指示にはおとなしく従った。 数日後、後輩が縁談を断った事を、またもや光森が知らせてきた。 「理由は最後まで言わなかったそうです。相手は気に入ってたんですけどね」 光森は複雑な表情でそう告げると、商談に出かけていった。 俺は後輩を昼食に連れ出すと、理由を問いただした。また、余計なお世話だとつっ ぱねられるかと思ったが、後輩はすんなりと答えた。 「つまらなかったから、断ったんです」 「どういう意味だ?」 「先輩、お守り持ってますか?」 「お守り?チョコレートの事か?当たり前だろ。他はどうか知らないが、俺にとって は大事なものなんだからな」 「そう、それなんです。彼にはそれがなかった。だから、断ったんです」 「待て、言ってる意味が分からない」 「いいんです。私が分かってれば。あ、そうそう、お見合いで使ったホテルのレストラ ンに、おいしいチョコレートのデザートがあったんです。今度一緒に行きましょ」 後輩はこれまでの数日間をすっかり忘れ去ったかのような笑顔で言うと、おいしそ うにコーヒーを飲んだ。 ホワイトデーもお花見もゴールデンウィークも過ぎ、そろそろ暑くなってきて油断 しているとチョコレートが溶けてしまいそうになる頃、その日がやって来た。 「え、来月からニューヨーク支社に転勤?」 「そういう内示が出たんだって。この間提出した企画を向こうの支社長が気に入っ たらしくて、ぜひ来て欲しいって熱烈な誘いがあったそうよ」 「それじゃ、もう会えないわけ?彼を見られないんじゃ、会社に来る楽しみがなく なってしまうじゃない」 「あなただけじゃないわよ。早く代わりを探さなきゃ」 ひと月前にそんな会話が社のどこかであったとかなかったとか。 とにかく、我が社で一番出世を期待され女子社員のあこがれの的である一人の 男子社員が、明後日、ニューヨーク支社に旅立とうとしていた。 「へえ、すごいな。ところで、あの書類どこに行ったか知らないか?」 明日札幌へ出張に行く先輩は、机の引き出しの中を探しながら言った。 「昨日、ファイルにしまって二番目の引き出しに入れてましたよ。でも、彼女とかいた ら寂しいでしょうね。もしかしたら、一緒について行ったりして」 「そうだな。あ、あった」 「もし、先輩がニューヨーク勤務になったらどうします?」 「ん、ああ、俺はダメ。英語分かんないし、人の期待通りに動くの苦手だしな」 「はあ」 「まあ、俺には縁のない話だ。さてと、総務課に行ってくる」 席を立って部屋を出ようとした先輩は、開け放たれたままのドアの手前で驚きの 表情を浮かべた。 直後に上がった女子社員達の歓声に駆け寄ってみると、噂の社員である企画部 の結城さんが立っていた。 「どうも」 ぎこちなく頭を下げる彼に、先輩は小さくうなずいた。 「光森なら、外回りに出てるけど」 唯一彼が用事がありそうな後輩は、たぶん昼過ぎまで帰って来ない。 「そうですか。あの、札幌に行くって聞いたんですけど」 「俺?うん、明日行く。そっちは明後日だよな。向こうにはどのくらいいるんだ?」 「たぶん、最低でも二年はいると思います」 「そっか、それじゃのんびりとニューヨークを楽しめるな」 「はい、そうですね。楽しんできます。それじゃ、失礼します」 結城さんは顔をほころばせて答えると、ぺこりと一礼して去って行った。 先輩は立ち去る相手を見送ると、こちらを振り向いた。 それと同時に自分の用を思い出し、あわてて出て行った。 大騒ぎは、それからまもなくして起きた。 今や時の人となった彼が、突然ニューヨーク行きを断ったのだ。 理由は断固として明かさないが、その一端がどうやら先輩にあるというらしい。 「一体、彼に何をしたんですか?」 非難の目を向けられ、何度もこの質問をされたらしく、先輩は不機嫌な口調で 答えた。 「俺は悪い事はしていない。総務課を出たところで彼に会ったから、頑張ってこ いって言っただけだ。そしたら、急に怒り出して行くのやめるとか言い出して」 それでピンと来た。おそらく大正解に違いない。 私は、わざとらしくはぁーとため息をつき、肩をすくめて解説を始めた。 「それがいけなかったんですよ。たぶん、彼はその言葉を嫌になるほど言われ てプレッシャーかけられまくってたんです。さっき先輩がのんびり楽しめるなって 言った時、彼がほっとした顔してたの気づかなかったんですか?それなのに、同 じ口からその言葉を聞いたものだからプツンと切れちゃったんですよ」 「え、そうだったのか?それじゃ、謝ってこないとな。でも、どうすれば許してくれ るかな」 「そうですね。それは本人に訊くしかないんじゃないですか?」 先輩は、んーと唸った後、素直に助言を聞き入れてのろのろと席を立った。 しばらくして、結城さんのニューヨーク行き拒否宣言は無事撤回された。 社内全体がほっとした雰囲気に包まれた中、約一名のみが不満をもらした。 「なあ、なんで俺が今の時季にしかも男にチョコレートをやらなきゃいけないんだ? だいたい、あいつチョコレート苦手なはずだろ?」 彼が先輩を許すのに、先輩の一番お気に入りのチョコレートをもらう事を条件と して出したらしい。 理由は推測できたが、先輩には黙っておいた。 わざわざ言うまでもない。 他のどんなお守りよりも、その効果は証明済みなのだから。 降って欲しい時に降らないで止んで欲しい時に止まないのが雨というもの。 晴れ男もてるてる坊主もあてにならないとなると、まさにお手上げ状態だ。 「これじゃ洗濯物が乾かない」 梅雨はまだ先だというのに連日の雨。 せっかくの休みだというのに外出もできず、溜まった洗濯物をどこに干そうか頭を 悩ませていた。 ようやく干し終えて一息つくと、途端に暇になった。 近くのレンタルショップで何か借りてこようと思い立ち、傘を差してしとしと降る雨の 中を歩いていった。 何本か借りて昼食を買いにコンビニに立ち寄ると、チョコレートが並ぶ棚に手を伸 ばしたところで声を掛けられた。 顔と性格のよさで女子社員の間で人気がある企画部の結城だった。たしか、光森 と同期入社だったはずだ。 「この近くにお住まいなんですか?」 「ああ、そっちは?」 「この辺りにちょっと用があったので。チョコレート、好きなんですか?」 興味深げにたずねる結城に、俺は伸ばした手を引っ込める事もできずに曖昧にう なずいた。 「まあな。時々、甘い物が食べたくなるんだ」 「へー」 「疲れた時とか元気が出ない時とか、一口かじるだけでかなり力をくれるしな」 「それはいいですね」 光森ならくだらないとバカにしてくるだろうが、結城はまったくそんな素振りは見せ ずに相槌をうってくる。 だが、それで逆に気恥ずかしくなり、棚から離れると弁当と飲み物を買っただけで 店を出て結城と別れた。 家に戻り、雨音を耳にしながらコメディ映画を観ていると携帯電話が鳴った。 「あ、先輩?長池です」 休日以外は毎日聞いている後輩の声が聞こえてきた。 「どうしたんだ?休みの日に電話なんて?」 「すみません。さっき結城さんとばったり会って、先輩とコンビニで会ったって聞い たので。チョコレート、買おうとしてたのに結局買わなかったんですって?」 「ああ、それがどうかしたのか?」 「いえ、結城さんが、自分がいたから買わなかったんじゃないかって気にしてたの で」 「べ、べつにそういうんじゃない。あまり欲しいとは思わなかったから買わなかった だけだ」 「それならいいんですけど。一応言っておきますけど、結城さん知ってますよ。先輩 がチョコレート好きな事。会社にこっそり持ってきてる事も」 「え、そうなのか?」 「光森君と一緒に飲みに行った時に聞いたそうです。彼は本当は甘い物が苦手で バレンタインデーの時に苦労したみたいですけど」 「じゃあ、俺の事軽蔑してるんだろうな。大の男がチョコレートだなんて様にならな いもんな」 「先輩は誰かに共感してもらいたいんですか?」 「いや、そういうわけじゃないけど」 「だったらいいじゃないですか。お守りなんでしょ?」 「まあな」 「それにちゃんと理解してくれる人もいますよ。そうだ。明日、大事な商談があります から、くれぐれも忘れないで下さいね」 そう言って後輩は電話を切った。 次の日、朝から快晴が広がり、洗濯物は何とか乾いていた。 会社に出勤すると、後輩からチョコレートを渡された。俺がコンビニで買おうとして やめたのと同じものだ。 「買いすぎたって言うので、ひとつもらったんです。もし商談が上手くいったら、後で お祝いに一緒に食べましょ」 その後商談を終えた俺と後輩は、新緑が清々しい公園のベンチでよほどチョコレ ートが好きらしい誰かがくれたそれをじっくりと味わったのだった。 春といえば桜。桜といえば花見。花見といえば…。 「ねえねえ、誰かいい人いた?」 給湯室の前を通りかかると、明るく楽しげな声が聞こえてきた。 四月に入ったばかりの女子社員達だ。仕事を覚える前に、いい男探しに精を出し ているらしい。 「いたいた。営業の光森さん。かっこよくて、仕事もできて、おしゃれなの」 「私は企画部の結城さん。もちろん顔がよくて、優秀で、優しいんだって」 社内で一、二の人気を得ている男子社員だ。他にも三人の名前が挙がったが、彼 らにはすでに彼女がいるのに対し、先の二人はなぜか付き合っている相手はいない。 自分にはどうでもいい話だとそのまま通り過ぎようとすると、不意に気になる名前が 耳に飛び込んできた。 「そういえば光森さんから聞いたんだけど、営業の杉原さんって、会社にいつもチョ コレート持ってきてるんだって」 途端に「えーっ」という驚きと軽蔑の声があがった。 「杉原さんって、男性でしょ?なんで、会社にお菓子なんか持ってくるの?」 「さあ」 「なんか、変わってるー」 「ねー」 反論したい気持ちを抑えながら、足早に課に戻った。 「あ、どこにいってたんだよ。これ、すぐに目を通して」 書類を差し出す先輩の横をすり抜けて後輩・光森の机に近づくと、笑顔を見せる 彼の腕をつかんで廊下に引っ張り出し、わけが分からないという顔の光森をさらに 人通りの少ない一角に連れて行くとやっと腕を解放した。 「どういうつもり?」 「はい?」 「新入社員の女の子に、先輩が会社にチョコレート持ってきてる事ばらしたでしょ。 どうして、そんな余計な真似するのよ?先輩に恨みでもあるわけ?」 「誤解ですよ。俺はその子から杉原さんは何が好きなのか訊かれたので、それに答 えただけです。たしかに会社にチョコレートを持ってくるのは感心しませんけど、だか らと言って杉原さんを嫌ってるわけじゃありません」 「本当に?」 「本当です。彼女がかなり杉原さんの事気になってるみたいだったので、ちょっと付 け加えただけです。それがどうかしたんですか?」 「その彼女が。もういい」 「ちょっと待ってください。ちゃんと話して下さいよ」 話を打ち切って立ち去ろうすると、腕をつかんで引き留められた。 「先輩の事、変わってるって言ってるのを聞いた」 「彼女が、ですか?」 「ええ。他の人から見ればただのお菓子かもしれないけど、先輩にとってはお守りの ようなものなの。だから、軽々しく人に話さないで」 「すみません。でも、どうして長池さんがそんなに怒るんですか?」 「どうしてって、私が前にそれで先輩を怒らせたからよ。また、怒らせるわけにいかな いの。とにかく、頼んだからね」 そう言い残して光森の手を振り切ると課に戻った。 「やっと戻ってきた。あれ、光森は?」 先輩が待ちかねたようにやってきた。 「すぐ来ると思います」 「そう。これ、すぐに目を通してくれ。それから、今日行くよな?」 「えっ、どこにですか?」 「花見。うちと二課と企画部の合同でする事になったって言っただろ」 「ああ、そういえば」 「今日は早めに切り上げなきゃいけないんだから、さぼってる場合じゃないぞ」 「はい」 それからは仕事に集中し、どうにか終わらせてからお花見の会場に向かった。 満開には少し早いけど綺麗な花を咲かせている桜は、夕闇に幻想的な光景を作 り出していた。しかし毎年の事だが、すでにあちこちで宴会が始まっていて花よりお 酒という状態になっている。 ほどほどの所で席を立って静かに桜でも愛でようと辺りをぶらついていると、離れ た席で飲んでいたはずの先輩が、桜の木の下で一人の若い女性といるのを見つけ た。 何かを渡して女性は走り去り、先輩は困ったようにそれを見つめている。 「こんな所で何してるんですか?」 近づいて声をかけると、隠すどころか助言を求めるようにそれを見せてきた。 「これ、もらったんだけど、どうすればいい?」 チョコレートの箱だった。光森に先輩の事を訊いたのは彼女だったのだ。 「彼女に何て言われたんですか?」 「私も好きですって。でも、俺、酒入りのチョコレートは嫌いなんだよな」 「せっかくもらったんだから、一つぐらいは食べた方がいいと思いますよ」 そう言ってみると、先輩は渋々一つを口に入れ、付き合えとばかりに箱を差し出 して来た。 仕方なく食べてみると、口の中に苦味のあるお酒の味が広がった。 「でも、誰に聞いたんだろ?」 不思議がる先輩に光森の顔が頭に浮かんだが、二人のために黙っておく事にした。 「ほら、やっぱり忘れてる」 後輩の呆れ顔にむっとしながら、俺は問いかけた。 「何をだ?」 「もういいです。それじゃ、仕事に戻りますから」 何を忘れたのか分からないまま取り残された俺は、それから自分の記憶と格闘する 破目になった。 そもそも、朝出勤するなり喫煙者用休憩室の前の廊下まで連れてこられていきなり こう言われたのだ。 「二番目でいいですよ」 「はっ?」 当然の反応だったと思う。 後輩も前置きをしないで言った事に気づいたのか、少し考えてから続けて言った。 「ほら、三種類あるって言ってたじゃないですか。その中の白いのがいいです」 「白?他に何色かあったのか?」 「あったのかって、先輩が言ったんですよ。もしかして、忘れたんですか?」 後輩の顔つきが次第に険しくなる。俺はどきっとしてごまかした。 「いや、違うって。昨日は忙しくて話がちゃんとできなかったから」 「話したのはもっと前ですよ」 「そうだったっけ?」 「ほら、やっぱり忘れてる」 後輩は呆れ顔で言うと、俺が呼び止めるのも無視して行ってしまった。 それからというもの、後輩からの俺を責める無言の圧力がひしひしと伝わってくる。 何かヒントはないかと課をそっと見渡してみると、後輩の光森が机にひじをついてた め息をついていた。 理由を尋ねてみると、バレンタインデーに女子社員からチョコレートやプレゼントをも らったが、今日そのお返しをしなければいけないのだと言う。 そう言えば、今日はホワイトデーとかいう日だった。 だが、光森のため息の理由はお返しをしたくてももらっていない人にはそれができな いからという事らしい。つまり、欲しい人からはもらえなかったというのだ。 人にはそれぞれ事情があるもんだなとしみじみと思いながら、俺は今年に限ってはそ の面倒をしなくてよかった事に気づき、「義理チョコ禁止令」も捨てたものではないなと ほくそえんだ。 いや、ちょっと待て。そういえば一人だけいた。 その数日後にチョコレートを売っていた店が後日期間限定の新商品を発売するという ポスターを貼り出していた。それを見かけた俺が、後輩にバレンタインデーのお礼のつ もりでどれか一つを買ってやると言った覚えがある。 後輩は自分で見て来てからどれが欲しいか俺に言ってくる事になっていた。 発売日は、今日限りだった。ホワイトデー用の商品だったのだ。 俺は暇を見つけて買いに行こうと決めた。 しかし、そんな時に限って邪魔ばかり入る。 急遽入った会議や取引先の訪問、書類の訂正にコピー機の故障。 昼休みも休憩もほとんどとれずに、あと少しで終業時間というところまで来てしまった。 結局、後輩は仕事上必要な事以外は口をきこうとせず、俺は早めに会社を抜け出し て店に急いだ。しかし、手遅れだった。すでに売り切れていたのだ。 がっくりと肩を落とした俺は、次の瞬間目の端に映った物に気をとられた。 そして、ある事を思い出した。 俺は迷う事なく、それを買った。 次の日、俺は後輩の家に向かった。 休日で家にいた後輩は、驚いた顔で俺を出迎えた。 「どうしたんですか?」 怪訝な顔の後輩に、俺は昨日買ったものを差し出した。 「昨日はすまなかった。結局あれは売り切れで買えなかったんだけど、代わりにこれ を買ってきた。チョコレートケーキだ」 「ケーキ?」 「ああ。今日、誕生日だろ?」 「何で知ってるんですか?」 「雑誌の星占いを見た時に言ってただろ。ホワイトデーの次の日だって」 「あ、そういえば」 「昨日買ったから、ちょっと固くなってるかもしれないけど」 「ありがとうございます」 「それじゃ、俺はこれで」 「待ってください。コーヒーでもどうですか?」 「いいのか?」 「一人じゃ食べ切れませんから。それとも、食べたくないですか?」 「食べたい」 即答した俺に、後輩は思わず吹き出して笑った。 俺はむっとしたが、ケーキを食べられなくなるおそれがあるので怒るのはやめて おいた。 予定よりも高くついてしまったので、約束は忘れないようにしようと心に誓った。 チョコレートが好きであろうが嫌いであろうが、やはり気になるバレンタインデー。 本命なら文句はないが、義理でももらえるなら悪い気はしないはず。 そんな日に、チョコレート大好きの先輩が、とんでもない発言をしでかした。 あれはちょうど一年前、甘い物嫌いの課長のご機嫌を取ろうとして「義理チョコ 禁止令」を提案したのだ。 本人はその場しのぎのつもりでも、周りは意外と覚えている。 「たしか、去年のバレンタインデーにそういう話が出てたから、今年はやめよっか」 一週間前、女子社員の間でそんな会話が交わされた。 そのため、我が課の男性社員の机には義理チョコと思しき箱は見当たらない。 いつものように出社してきた彼らの顔に驚きと不満が浮かんだのは言うまでもな いが、一番面食らったのは言い出した本人だったようだ。 「あれ、忘れたんですか?」 一目瞭然だったが、一応訊いてみた。 先輩は平然を装いながら、ただ一ヶ所綺麗にラッピングされたチョコレートとプレ ゼントの山が積み上げられた机をピシッと指差した。 「それじゃあ、あれは何だ?」 それは、顔も営業成績もいいが少しばかり自信過剰な後輩・光森の机だった。 今朝は早くから営業先に向かっていて、彼目当てにここをのぞきに来た他の課 の女子社員達のがっかりした顔を何度見ただろう。 明らかに義理ではなく本命だ。 「彼、意外ともてるみたいですね」 後輩に関心はないが、先輩の反応を見るために言ってみた。 「あれだけあると、一つだけ選んだら他に恨まれそうだな」 「一つももらえないよりはいいと思いますけど」 いつもの軽い意地悪のつもりだったが、少し傷つけたみたいだ。 先輩は、自分には関係ないと言いながらも逃げるように出かけてしまった。 「ねえ、本当にいいの?去年はああ言ってたけど、やっぱりあげるべきじゃない?」 先輩が外出して一時間後、義理チョコ禁止令はあっけなく取り払われた。 例年通りそれぞれの机にはその意味をはっきりと示すような同じ箱が置かれ、寂 しげだった空気が一気に明るくなった。 しかしまだ一ヶ所だけすっきりと片付いている机があり、それこそが禁止令を提案 した張本人、つまり先輩の机だった。 「いいの、いいの。先輩変なところで強情だから、きっと禁止令を持ち出してくる。本 人が撤回するまで待ってようよ」 小首をかしげながらも先輩宛の義理チョコを他の机に回す同僚を見送り、自分に 課した特別任務を果たすべく仕事を抜け出した。 やはりバレンタインデーだと改めて実感させられるほどの人ごみをかきわけて手 にいれていたのはおいしいと評判の店特製の売り切れ覚悟のチョコレート。 しかも、この日のためにだけ売り出される要予約の代物だ。 ちょうど帰って来た後輩・光森のチョコレート目当ての探りの質問をかわし、先輩 のご帰還を待った。 何度か一階の玄関ロビーまで見に行ったが、一向に帰って来る気配がない。 自分の言動に反省しつつ、エレベーターで課に戻る。 目的の階で降りた時、先輩が目の前を通りかかった。 すかさず呼び止めて、紙袋を掲げる。 予想通りの反応と、やっぱりのひねくれた言葉。 「義理チョコは受け取らない」 だから、こう切り返した。 「あげるんじゃありません。わけるんです。それなら文句ないでしょ」 文句が出てくるはずもなかった。 仕事中に食べるなんていつもは注意するところだが、今日は特別に許す。 今さら取り上げられないだろう。 子供のように喜ぶ先輩から、わざわざ手に入れたチョコレートを。 お菓子屋の陰謀だろうが、歯医者の仕事を増やそうが、この日にチョコレートの 出番がないなんて変だと思うのは少なくとも自分だけではないはずだ。 そう、今日は年に一度のチョコレートデー、じゃなくてバレンタインデー。 義理だろうがなんだろうが、遠慮なくチョコレートを食べられる日なのだ。 にもかかわらず、今年はいつもと違った。 去年は出勤と同時に机の上に見えたチョコレートの箱が、一つも見当たらない のだ。 机の前で立ち尽くす俺に、通りかかった後輩が一瞬で事情を察し、不思議そう な顔で言った。 「おはようございます。あれ、忘れたんですか?去年、女子社員が甘い物大嫌い の課長の机に義理チョコを積み上げたので課長が激怒した時に、先輩がご自分 で義理チョコ廃止令を提案したじゃないですか。だから、今年からうちの課では義 理チョコはしない事になったんです。 俺ははっとした。 たしかあの時は、ミスを報告する前に課長の機嫌を取るためにとっさに言い出し たのだ。それがまさか、一年経った今にまで影響するとは思わなかった。 愕然として無意識に周りを見回したが、やはり楽しみにしていた物の姿はない。 だが、一ヶ所だけ山ができているのに気づいた。 「それじゃ、あれは何だ?」 俺が指差したのは、光森という後輩の机だった。 顔も仕事振りもそこそこいいが、自信たっぷりの態度が気に掛かる奴だ。 「ああ、あれは本命です。今日は朝一番から取引先回りに出ているので、女子社員 は達が直接渡せないと残念がっていました。彼、意外にもてるんですね」 よく見ると、チョコレート以外にプレゼントのような箱もある。 「へえ、でも、あれだけあると一つだけ選んだら他に恨まれそうだな」 「一つももらえないよりはいいと思いますけど」 途端にごく近い二、三ヶ所で咳払いが起こり、後輩がはっと口をつぐむ。 「まあ、俺には関係ないな。いくらもらっても仕事中に食べるわけにはいかないしな」 俺は軽い口調で言うと、とっととその場を退散して外へと出かけた。 不覚だった。 わざわざバレンタインデー用にディスプレイし、チョコレートを前面に出した店の 前を恨めしそうに通り過ぎ、取引先では女子社員からの義理チョコにいつも厳しい 顔が緩みっぱなしの男達を相手にするうちにむなしくなってくる。 普段なら遠慮なく買うのだが、この日に男が売り場にいるとすかさず好奇な視線が 向けられるので容易にたどり着けないのだ。 ぐったりと疲れて社に戻ると、いつのまにか帰って来ていたうらやましい後輩・光森 が涼しい顔で箱の山を机の隅によけて仕事をしている。 「あ、待ってたんですよ。よかったらひとつどうですか?」 「俺におすそわけか?くれた相手の事考えろ」 「ああ、そうですね。僕からもらわなくてもすでにもらってるでしょうし」 そいつはにこやかに笑って、一度差し出した箱をすんなりと引き戻し仕事に戻っ た。 俺は内心しまったと思いながらも、平然と席につく。 その途中、目を疑った。 俺以外の男性社員の机の上にきれいにラッピングされた箱が置かれ、課長に至っ ては怒るどころかご満悦なのだ。 裏切り者の課長をこっそりにらんでから真面目に仕事に取り掛かったが、やっぱ り気になって仕方がない。 気分転換に再び席を立ち、フロアーの奥にあるロビーに向かった。 エレベーターの前を通り過ぎると、背後から呼び止められた。 「あ、先輩どこに行くんですか?」 「関係ないだろ」 「あります。これ一緒に食べようと思って帰って来るの待ってたんですよ」 後輩が掲げた紙袋に、俺は面食らった。 ある店特製なのだがおいしいと評判で、この時期売り切れ覚悟のチョコレートだ。 「言っておくが、義理チョコは受け取らない」 「あげるんじゃありません。分けるんです。それなら文句ないでしょ?」 文句などあるわけがない。 だが、後輩には気が進まないふりでやり過ごした。 仕事中に食べるチョコレートは、また格別だった。 おそらく、チャンスはそこら中に転がっている。 ただし、それをつかむには目を皿のようにして注意深く周りを見ていなくては いけない。そして、すばやく捕まえる。 幸運が向こうからやってくるなどという甘い考えは足かせにしかならない、は ずだった。 その日も、いつもと変わらない忙しい時間の中を走り回っていた。 いや、違う箇所があった。 いつもコンビを組んでいる先輩が休みのため、二つ年下の後輩・光森を引き 連れて取引先に向かった帰りだった。 意外にもしっかりしている後輩に感心しながら、会社へと戻る。 「おかげで契約取れそう。なんか、先輩よりも頼りになる」 「え、そうですか?できる事をしただけなんですけど」 後輩は照れ隠しに笑い、頭をかいた。 たしかに、今日は先輩じゃなくて正解だった。 なにしろ、前回、取引先の部長と険悪な状況になりかけたのだ。 原因は、先輩のコーヒーの飲み方を見た部長がそれを注意したからという仕 事には全く関係ないもので、向こうの課長もあきれていた。 今日はその埋め合わせとして急遽呼び出されたが、上司の意向で相手の様子 を探る意味で後輩を連れて行ったのだった。 「それにしても、コーヒーに三杯も砂糖を入れるなんて、相当な甘党ですよね。女 性ならともかく、男でなんて考えられない」 後輩があきれ顔で言った。 それが心にひっかかった。 「そこまでいう事ないんじゃない?好みは人それぞれなんだし」 「そうですけど、それで取引先の機嫌を損ねるのは問題ですよ。契約の日も、この 二人で行くべきだと思います」 「でも、もともとは先輩が切り開いてきた所だから」 「だとしても、契約取れなきゃ無駄じゃないですか」 「ちょっと、それは」 あまりの言い草に諌めようとしたその時、問題の当人がこちらに歩いてくるのが 見えた。 何やら沢山入った買い物袋を提げて、うれしそうな顔をしている。 後輩が声をかけ、先輩がこちらに気づいた。 「あれ、新コンビ誕生か?」 歩み寄るとこちらを興味深げに見つめてきた。 「そっちは何をしてるんですか?それ、何ですか?」 「ん、秋の新商品を試してみようと思ってな。ほら、チョコレートって、この時期に新 しいのがでるだろ」 聞くべきじゃなかった、と後悔する横で後輩が軽蔑のまなざしをむけた。 「あの、そういうの、そろそろ卒業したらどうですか?女の子じゃあるまいし、恥ずか しいと思いませんか」 「光森君」 「長池さんもちゃんと言った方がいいですよ。この人のせいで、迷惑してるって。僕 達がさっき行って来たのは、この人が部長を怒らせた取引先だって。まあ、僕達二 人の力で何とか契約は取れそうですけど」 「そうなのか?」 「え、ええ、まあ。でも、それは」 「そっか。それはすまなかったな。これ、よかったらもらってくれ」 後輩の言葉の誤解を解こうとして、先輩に遮られた。差し出されたのは、チョコレ ートのかかった焼き菓子の箱。 「先輩?」 「疲れた時には甘いものが一番だ。二人で分けて食べてくれ。明日、感想聞かせて くれよな」 先輩は、あっけらかんとした様子で去っていった。 チョコレートは、おいしかった。そして、疲れは吹き飛んでいた。 契約の日、隣には先輩がいた。 驚くべき事に、相手先の部長は先輩の頑固さが気に入っていたらしく、和やかな雰 囲気の中、無事に契約は成立した。 その日も、彼の鞄にはお守りのチョコレートがしっかりと入っていた。
甘くて、時にほろ苦い味がするチョコレートは、きっと神様が人間にくれた絶好の
チャンスを手に入れる鍵なのだと信じていた。 「あの、この暑いのにどうしていつもそんなモノ持ちあるいてるんですか?」 怪訝な顔で訊いてくる後輩に、俺は返事をせずにあるいていた。 信号待ちの交差点で、そいつは同じ質問をぶつけてきた。 「お前には関係ない」 「でも、早く食べないと溶けちゃいますよ」 「余計なお世話だ。これ持ってないと落ち着かないんだよ」 「落ち着かないって、仕事にそんなの持ってこないで下さい」 「仕事中に食べるわけじゃないんだからいいだろ」 「食べないなら持ってきてもしょうがないでしょ。そんなの持ってきてるって知れたら 課長に叱られますよ。女子社員にも何て言われるか」 「お前が言わなきゃばれない」 「言いますよ。子供でも学校に持っていかないのに、仕事にお菓子を持ってくる人と 組むのなんかごめんですから」 「なっ?」 「とにかく、没収します。ほら、貸してください」 「やめろ、あぶない」 周りの迷惑を考えずに言い争った末、強引に鞄から取り出そうとする後輩ともみ あっているうちにそれが地面に落ちてしまった。 そこへ運悪く信号が青に変わり、俺達二人は後ろから押し出されるのに逆らって そこに留まったものの、足下に転がったそれは容赦なく踏み潰されて変わり果てた 姿になっていた。信号が赤に変わり、再び車が前を横切っていく。 「ありゃりゃ、無残な姿になってしまいましたね」 悪びれず軽い口調で言った後輩に、俺はつめよった。 「お前のせいだぞ。どうしてくれるんだ」 「すみません。でも、そんなの持ってくる方もわるいんですよ。たかが、お菓子一個で そんなに怒らなくても」 「お菓子一個だと?チョコレートはな、俺にとってお守りみたいなものなんだ。どんな につらい時も、これのおかげでやってこれたんだ。お前には分からないだろうがな」 「分かりませんよ。何ですか、お守りって?そんなにお守りが欲しいなら神社で買って きてあげますよ」 「そういう事じゃない。もう、いい!」 俺はそう言い放つと、憤然として信号が青に変わった交差点を渡った。 More
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